前置き 1992年頃、大手パソコン通信ネットの掲示板に書き込んだメッセージを2002年7月7日に書き改めた作品。

仮設トイレ

 花火大会などが行われると一時的に物凄い数の人が集まります。その際に必ず問題になるのがトイレです。スタジアム、野球場、コンサートホールなど、常に多数の人間が詰め掛ける場所では多数のトイレがありますが、一年に一回しかないイベントなどではトイレ不足が必ず起こります。その対策として主催者は仮設トイレを設置します。

 10数年前のことになりますが、私は千葉県某所で毎年開催されていたマラソン大会に参加しました。42.5Kmを走るフルマラソンです。私は週に数回、2〜3kmのジョギングをしていますが、それだけの人間がフルマラソンに出場することは誰がどう考えても無謀な試みですが、一生に一度の思い出としてあえて挑戦してみたのです。
 当日は雲ひとつない快晴でした。気温も上がらず、微風が吹いているという絶好のマラソン日和でした。
 はたして制限時間(スタートしてから5時間)内にゴールできるのだろうか。
 スタート時間が近づくにつれ徐々に不安が襲ってきました。胸を締めつけられる思いでウォーミングアップをしていると、突然、おなかが痛み出しました。緊張が高まってきたせいもあるのでしょう。
 私は周囲を見回し、トイレを探しました。スタート地点の陸上競技場内は人だらけでどこにトイレがあるのだかわかりません。
 近くにいた係員に尋ねると、ボランティアの学生らしきその人は仮設トイレが陸上競技場の入場門近くに設置されていることを教えてくれました。
 そのときスタート時間まで5分を切っており、私はかなりあせってトイレに向かいました。
 競技場の門から数メートル離れたところに仮設トイレは設置されていました。プラスチックか何かの軟弱な材質でできているらしい、強風が吹いたら倒れてしまいそうな非常にちゃちいトイレです。個室の数は30ほどありましょうか。もちろん水洗ではなく、近づくにつれ悪臭が鼻をついてきます。
 個室のドアを一つ一つ見ると、ノブの「空き・使用中」を示す色は赤ばかりです。そのときはじめてトイレが非常に混んでいることを悟りました。一応念のため3つばかりのドアをとんとんと叩いてみましたが、すべての個室から返答のノックがあります。
 やばい!
 時間がないのであわてました。私は、奥に向かってすべてのドアをチェックしていきました。そして、一番奥の個室のドアノブだけが青、つまり空いていることを発見しました。
 私はほっとため息をついて、そのドアを勢いよく開けました。
 驚いたことに中には人がいました。黄と黒の縞模様(いわゆるタイガー色)の派手なランニングシャツを着た中年のオヤジが向こうを向いたまましゃがんでウンコをしていたのです。
 オヤジはすぐに振り向き、私をじろりとにらみつけてきました。
 萎縮した私は「どうもすみません」とすぐさま謝罪しましたが、自分に非があるわけではないので「でも、鍵くらいかけてくださいよ」とちくりと文句を言ってやりました。
 するとタイガーシャツのオヤジは真っ赤な顔をして、「ふざけんじゃねえ! 鍵が壊れててかからね〜んだよ!」と怒鳴ってきました。
 そんなに怒ることはないではないか。私の責任じゃないんだから。
 すぐに私は逆切れして、「だったらそんなとこに入らなきゃいいだろ! このクソオヤジ!」と怒鳴り返してやりました。
 オヤジの顔はさらに赤みを増し、「この野郎!」と叫びました。
 大声で罵倒しあったため、仮設トイレの周りに人が集まり、人々の視線が我々に集中しているのが感じられました。
 これはもう殴り合いの喧嘩に発展するしかないな。自分でもそう思ったのですが、意外にもタイガーシャツのオヤジは「今後は気をつけろよ!」という捨てゼリフを吐くだけで、おとなしく個室のドアを閉めました。
 さすがに用を足しながら喧嘩をするという離れ技を行うことはできないと観念したのでしょう。また、マラソンのスタート時間が刻々と近づいていて私と争っている暇はなく、一刻も早く用を済ませたいと考えたのでしょう。
 急がなければならないのは私も同じです。私は大急ぎで空の個室を探しました。
 しかし、相変わらずすべての個室が使用中です。しかたないので私は待ちました。 待つこと数十秒、奥のほうの個室のドアがやっと開きました。
 あれ、確かあそこは・・・・。
 危惧したとおり、中から黄と黒の縞模様のシャツを着たオヤジが出てきました。タイガーオヤジは相変わらず真っ赤な顔をして怒りが収まらない様子です。オヤジは私に気づくと睨みつけてきましたが、幸いマラソンのスタート時刻が間近となっていたので「覚えてろよ!」という捨てゼリフを発するだけで陸上競技場へと走っていきました。
 スタートまでもう時間がないので私はあわててタイガーオヤジの使っていた個室に飛び込みました。中から鍵をかけようとしましたが、オヤジが言うとおり鍵が壊れていてロックできません。
 頼むから誰も来ないでくれ!
 心の中でそう祈りながらパンツを下げてしゃがみ、急いで用を足そうとしました。が、次の瞬間、個室のドアが勢いよく開けられたのです。
 振り向くと、髪を茶髪に染めた二十歳くらいの若者が顔をしかめて立っています。
 茶髪男は非難めいて言いました。「鍵くらいかけろよ!」
 私はムッとして言い返しました。「鍵が壊れててかからね〜んだよ!」
今考えると、さっきのタイガーオヤジが言ったのとまったく同じ言葉を私は発していたのです。
 金髪若者もすかさず言い返してきます。「だったらそんなとこに入らなきゃいいだろ!」
 これまたさきほど私がタイガーオヤジに言ったこととまったく同じ文句です。
 頭に血がカッーとのぼるのがはっきりと感じられました。おそらくそのときの私の顔もタイガーオヤジと同じく真っ赤になっていたはずです。
 私は「この野郎、やる気か!」と怒鳴ってやりたかったのですが、怒りを抑えてすぐに個室のドアを閉めました。茶髪男に対する怒りはすでに我慢の限界を超えていましたが、パンツを下ろしてしゃがんだままでいるところを外の人にさらし続けるのが耐えられなかったため自重したのです。
「ったくもう!」
 茶髪男はこういう捨てゼリフを発し、足音が遠ざかっていきました。
 私はもうあんな不愉快な思いを二度としたくないので、両手を後ろに回し、ドアノブを内側に思いっきりひっぱりながら用を足すことにしました。
 排便中、マラソンのスタートを告げるピストルの乾いた音が聞こえてきました。
 こうして私の最初で最後のフルマラソンは、仮設トイレ中でしゃがんだままスタートが切られたのです。

 私は用を済ますとダッシュで陸上競技場内のスタート地点に向かいました。参加者があまりに多かったためでしょう。スタートから3分以上は経過しているはずなのに、まだスタートラインを超えてない人もけっこういました。私はすぐさまランナー達に加わり、走り始めました。
 マラソン開始前に色々な「事件」がありましたが、開始後にも「事件」は続きました。
 5キロ付近を走っているとき、前方に見覚えのあるランニングウェアが見えてきました。黄色と黒の縞模様。そうです。あの憎きタイガーオヤジです。
 私は躊躇しました。それまでのペースで走ればオヤジにすぐに追いついてしまいます。タイガーオヤジは仮設トイレでは私との殴り合いの喧嘩を回避しましたが、今はわかりません。私に気づくと殴りかかってくるかもしれません。
 私は見つからないようタイガーオヤジの30メートルほど後ろを走り続けることにしました。でもそれは長くは続きませんでした。8キロ地点をちょっとすぎたところでタイガーオヤジのペースが急激に落ちたのです。一緒に付き合ってペースダウンするわけにはいきません。そのペースでは制限時間以内にゴールすることは不可能でしょう。
 私は作戦を変更してタイガーオヤジを一気に追い抜くことにしました。道が広くなったところで右端いっぱいに寄り、前方に向かって猛ダッシュをかけました。
 全速力で走っている間、タイガーオヤジに見つかって追いかけれらるのではという不安も若干はありましたが無事振り切ることができました。もう大丈夫だろうと思ったところで後ろを振り向きましたが、オヤジはまったく見えませんでした。途中で私に気づいたかもしれませんが、タイガーオヤジにはもう私に追いつく体力は残ってなかったでしょう。私はほっと一息ついて普段のペースに戻して走り続けました。
 しかし、この普段のペースは最後までは続きませんでした。スタート前のドタバタと途中のタイガーオヤジとの遭遇、その後の猛ダッシュ。これらの影響が徐々に現れたのでしょう。30数キロを過ぎた地点で私は急にペースダウンしました。呼吸が苦しくなり、足が前に出なくなったのです。しばらくもがいていると走ること自体が苦痛になってきました。そしてとうとう歩き始めたのです。そのころはもう、あまりのろのろしてるとタイガーオヤジに追いつかれるのではという不安はまったくありませんでした。精神的、肉体的にもう限界で、来るのなら来やがれ、という開き直った気分になっていました。
 やがて、沿道の人がバナナを配っているのが見えてきました。タイム的にもまったく希望の持てないレースになっていたので、私は差し出されたバナナを受け取り、ピクニック気分でバナナを歩きながら食べました。おいしかった。
 バナナから栄養を得たおかげでしょうか。少しばかし走る気力が湧いてきました。沿道の人の「がんばれ〜」という声援にも後押しされ、私は再び走り始めました。
 が、数キロ行ったところで、今度は急に腹が痛くなってしまいました。下痢をしたようです。漏れそうで我慢すると冷や汗が出てきました。
 私は以前から走っている最中に何かを食べると腹が痛くなるという経験を何度かしていました。ですから、最近は、走っているときに何かを口にすることはありませんでした。
 さっきのバナナがあたったのでしょう。困りました。コースの途中では仮設トイレなどありません。ゴールまではまだ5キロ以上あり、とても我慢できる距離ではありません。すでに市街地に近づいていたため道の周りに林もなく、畑があっても沿道の応援の人がちらほらいて野グソができるような状況ではありません。
 絶体絶命のピンチ!と思ったのですが、まだ運に見放されてはいませんでした。前方を少し進むと「公衆トイレこちら」という看板が見えてきたのです。
 矢印が示すとおり右に曲がり、数十メートル進むと、比較的最近建てられたと思われるい公衆トイレが現れました。
 個室は空いていますように!
 祈るような気持ちで便所の建物内に入ると、ラッキーなことに個室には誰も入っていません。水洗式のトイレで、トイレットペーパーまで備え付けれられています。
 私はすぐに個室に駆け込み、水のような便を大量に出して、ほっと胸をなでおろしました。嫌なことが何度も続いて沈んでいたので、こういう運のよさが格別にうれしかった。
 早くレースの戻ろう。そう思って水を流し立ち上がると、また腹が痛くなりました。再びしゃがんでふんばり、水のような便を出しました。量は少ないのですが、出さないと腹の痛みは治まりません。
 さあ、これでいいだろう。再び水を流して立ち上がったのですが、またまた腹が痛くなってきました。どうやら、しゃがんでいるときには痛くないのに、立ち上がると腹が痛くなり便意を催すようです。
 しゃがんだり立ち上がったりするのを何度繰り返したことでしょうか。トイレに入ってから20分くらいたったころ、個室の外がやけに騒がしいことに気づきました。私は恐る恐る鍵穴に右目を当て、そこを通して外を覗きました。
 や、やばい!
 私は思わず息を呑みました。個室の外では10人ほどのマラソンランナーが列を作り、イライラしながら私が出るのを待っていたのです。そして、その怒りの列の先頭は、なんと、黄色と黒の縞のシャツを着たあのタイガーオヤジだったのです。
 オヤジの顔は真っ赤です。スタート前の仮設トイレで見た赤顔よりももっともっと赤い顔をしています。長い距離を走ったためでもあるでしょうが、怒りのために赤くなったと考えるのが普通でしょう。
 私の全身に冷汗がど〜と流れ、排便の欲求は一発で消え失せました。
 やがて、タイガーオヤジの罵声が聞こえてきました。
「いつまで入ってるんだ! みんな待ってるんだぞ、この馬鹿野郎!」
 オヤジはそう叫びながら個室のドアをガンガンと叩き始めたのです。
 ここでもし私が素直にトイレから出ようものなら、タイガーオヤジは「また、おまえか!」と怒鳴り、私に殴りかかることでしょう。
 そしてそのとき、もし私が「さっきはあなたが個室に入っていて、私がドアを開けてしまったのだから、『また、おまえか!』というのは厳密に言えば正しい日本語ではありません」などと言おうものなら、タイガーオヤジの怒りは一気に爆発し、私の髪の毛をつかんで額を便器の「金かくし」におもいっきり叩きつけたことでしょう。 そんなの絶対に嫌なので私は何かいい方法はないかと必死に考えました。
 個室内の周りを見ると、ドアと反対側の壁と天井の間に50センチほどの隙間があることに気づきました。
 そこから外に脱出できるのではないか。それしかない。
 私はすばやく壁をよじ登り、50センチほどの隙間に頭から突っ込みました。
 私は怒りの列を形成するランナー達に知られることなく、公衆便所の外へ出ることに成功しました。
 ただ、狭い隙間から飛び出たとき、左足の爪先が壁に引っかかってしまい、全身よりも顔面の方が早く着地してしまったため額を大きく切り、大流血してしまいました。しかしながら、顔面を便器の「金かくし」に叩きつけられての大出血ではないので自尊心を傷つけられずに済みました。

 私は公衆便所の裏手から逃げるようにして、マラソンコースに戻り、何食わぬ顔で走り始めました。
 10分くらい走ったでしょうか。私は突然踵を返し、私が大脱走を敢行した公衆便所へと向かいました。私が逃げた後の公衆便所の間抜けな状況が見たくなったからです。個室内に誰もいないのにその前に列を成して並んでいる愚かなランナー達を鑑賞したくなったのです。そのときはもう自分のマラソンタイムのことなど眼中にありませんでした。
 今ごろは行列は15人くらいに増えているはずです。
 トイレに着いたら列の最後尾に並んで被害者を装い、イライラしてる連中を見て楽しんでやろう。とりわけ、最前列のタイガーオヤジの振る舞いが見ものだな。
 こんなことを考えてニヤニヤしながらトイレに向かいました。途中、こいつは何で逆走してるんだ、と言いたげな表情のランナー達と何人もすれ違いましたが、私は気にもしませんでした。予想される公衆便所の状況を想像してわくわくしていたのです。
 着いて驚いたのですが公衆便所は何事もないようです。私が逃げ出したときには便所の建物の外まで個室の順番待ちの列が続き、怒りの罵声が飛び交っていたのですが、今は人影もなく静かです。
 そんなはずはない!
 私が脱出したのはだいたい10分くらい前のことです。私の脱走直後に先頭のタイガーオヤジが個室内に誰もいないことに気づいたとしても、10分程度の時間しか経過してないのです。10分の間に10人以上の人間が順番に用を足すことは理論的に不可能です。パンツを下げる時間、排便をする時間、お尻を拭く時間などを考慮すると、少なくともひとり3分の時間は必要です。10分で終わるわけがありません。
 たとえ2人ずつ前後にしゃがんで同時に用を足したとしても、10分で5組以上というのは難しい。
 1度に3人ずつ直列に並んでというウルトラCの技を行った場合には時間的には可能になりますが、一番後ろにしゃがんだ人のお尻は便器外です。
 何か変だぞ!
 そう思いながら、公衆便所に入ると、個室のドアがないことに気づきました。ドアがあったはずの位置のすぐ前には、明らかに人間のウンコと思われる汚物が散乱しています。個室前に並んでいた連中の何人かが我慢しきれずに漏らしたのでしょうか。 しかし、列を作っていた人達は一体どこへ消えてしまったのでしょうか。そもそもなぜ個室のドアがなくなっているのでしょう。
 私は数々の謎を解明するためにドアを探しました。ドアには何らかの手がかりが隠されていると思ったからです。
 私は公衆便所内を隈なく探しましたが、見つかりません。
 おかしいぞ。
 何か嫌な予感がしました。
 私は公衆便所を出て、付近を捜査しました。その結果、公衆便所の裏の林の中に無惨な姿で横たわるドアを見つけたのです。ドアは中央でまっぷたつに折られ、数カ所に穴が開けられていました。よく見ると、その穴の一つに、黄色と黒の布の切れ端がからまっており、血痕も見られます。あのタイガーオヤジが関与したことは間違いなさそうですが、中年オヤジ一人でドアをこれほどまでに破壊する力があるとは思えません。
 ドアはステンレス製です。普通の人間の素手ではへこますことですら不可能なはずです。にもかかわらず、ドアはあたかもユリゲラーが万力とハンマーを使って折り曲げたかのように無残な姿をさらけ出していたのです。
 私は腰をすえ、公衆便所から脱走した後に、ここで何が起こったのかを冷静に想像してみました。

 私がこっそりと個室から抜け出した直後、黄色と黒のシャツを着たタイガーオヤジがキレ、「早く出ろ、この馬鹿野郎!」などと怒鳴りながらドアをガンガンと叩き始めました。個室内からの応答がまったくないことに怒り狂ったタイガーオヤジは、勢いをつけて肩からドアに体当りし、肩を脱臼して救急車で病院に運ばれました。
 タイガーオヤジのすぐ後ろで順番待ちをしていた人は、肩を脱臼するのが嫌だったため、個室のドアに膝蹴りをお見舞いして半月盤損傷を負い、担ぎ込まれた病院で全治6ヶ月との診断をされました。
 半月盤損傷男の後ろに並んでいたランナーは、前の二人と違って頭がよかったため、ドアを開けるために自分の体の一部をドアにぶつけるような愚かな事はせず、トイレの外に落ちていた鉄パイプを拾いに行きました。しかし、鉄パイプを手にして公衆便所に戻ってきたときには、列に並んでいた人々が1人ずつ前につめてしまっていたため、しかたなく行列の最後尾に再び並びました。
 鉄パイプ男の次の人は、ステンレス製のドアに対して一人ではダメだと悟り、自分のすぐ後ろに並んでいる2人に協力を仰ぎ、3人で体当りすることにしました。3人は5メートルほどドアから離れ、「いっせいのせっ!」の掛け声とともにドアに突っ込みました。さすがに3人の体当たりでは効果がありました。ドアはほとんど開きかけたのです。しかし鍵はまだ完全には壊れておらず、ドアを開けることはできません。誰もがドアが開きかけたことに注目して気付かなかったのですが、協力を頼まれてドアに体当りした2人はやはり肩の脱臼と半月盤の損傷で苦しんでました。2人に協力を頼んだ者はどうかというと、3人でドアに体当りする直前に、バランスを崩して頭から突っ込んだのはいいのですが、ドアにぶつかる寸前に2人に横に押され、ドアの横のコンクリートの壁に頭を激突させてしまい大流血だそうです。3人とも前の2人が入院したのと同じ病院に救急車で運ばれていきました。
 激突トリオの次に順番の列に並んでいたのは外人でした。どこかで見たことある顔だなあと思っていたら、なんとあのスプーン曲げで有名なマジシャン、ユリゲラーでした。ユリゲラーは待ってましたとばかりに、そのときたまたま持っていた万力とハンマーを使ってドアをねじ曲げ、とうとうトイレの個室のドアが開いたのです。
 ユリゲラーの後ろに並んでいた人はおもしろくありません。なぜなら、彼は何かあったときのために常にチェーンソウ(電気のこぎり)を手に持ってマラソンに参加していたからです。こんな絶好の機会をふいにされ、怒った彼は、ユリゲラーをチェーンソウで殴りつけてやろうとしましたが、相手が外人でしかも魔術師で仕返しが恐いので遠慮して、この怒りを便器の中に流し忘れられていた汚物にぶつけたのです。つまり、チェーンソウ男はチェーンソウのスイッチをオンにして、不気味な音を立てて回転するの刃を便器内の汚物に押し当てたのです。当然、汚物は便器外へと飛び散り、汚物の破片の大部分はチェーンソウを持った男に降り掛かったのですが、破片の一部は個室の外の床に散らばりました。チェーンソウ男は、15回目のマラソンで初めてチェーンソウを実際に有効利用することができ、大満足でマラソンコ−スに戻って行きました。
 しかし、今度はチェーンソウ男の後ろに並んでいた人が納得できません。その男は、空手5段、柔道4段、そろばん3級の持ち主で自分の順番を指折り数えて、ではなく、そろばんの玉をはじいて待っていたからです。彼はその怒りをトイレの個室のドアにぶつけたのです。空手5段、柔道4段、そろばん3級男は自分の格闘技を駆使してドアを見るも無惨な姿に変えた後、それを自分がやったとマラソン主催者にばれて、マラソンの表彰台に上がれなくなったら大変だと、タイガーオヤジの残したランニングシャツの切れ端の一部をドアの穴に引っかけて、タイガーオヤジに全責任をなすりつけようとしたのです。この人は残り5キロ地点で既に4時間以上かかっているにもかかわらずまだ3位以内に入れるとでも思っているのでしょうか。実際にはもうとっくの昔に表彰式は終わっているはずです。夢は持ち続けることによって実現に近づくという言葉はある意味で真実かもしれませんがこの場合には当てはまらないでしょう。この超楽観的見通しにはただただ呆れるばかりですが、公衆便所のドア破壊の責任をあのタイガーオヤジになすりつけようとした発想そのものには好感が持てます。
 空手5段、柔道4段、そろばん3級男の後ろに並んでいた人達は、ドアがボコボコにされているのを見て、自分達にもう用はないと観念し、別のトイレを探しにその場を去りました。

 これだったら辻褄が合うんじゃないかな。
 私は独り言をつぶやいて腰を上げ、公衆便所を後にしてマラソンコースへと再び戻り走り始めました。


作者の
コメント
これだけの力作にもかかわらず、感想を書いてくれる人は一人もいませんでした。
(作者:フヒハ)

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