前置き | 1992年頃、大手パソコン通信ネットのプロレスのフォーラムに書き込んだメッセージ |
プロレス好きの友人 |
親友の大西はかなりのプロレスファンですが、ちょっぴり変わっています。普通、大のプロレスファンというと、プロレスの試合を毎週必ず見に行っているとか、世界じゅうのレスラーの名前を100人知っているとか、雑誌「週間プロレス」を20年間購読して読み続けているとか、「東スポ」を毎日欠かさず買っている、といった人々を指すのでしょうが、大西はそういう人とは異なります。 大西はプロレスラーやプロレス団体にはまったく興味がありません。彼が関心を寄せているのは唯一「プロレスの技」だけです。 私は高校時代、大西と同じクラスだった(かなり前の話)のですが、その頃、プロレス技は全部で約1500ありました(なぜ約1500と断定できるかというと、当時、世界で最もプロレス技に精通していたと考えられる大西が言っていたからです。大西を知っている者は誰でもそう思っていたし、今でもみんなそう思っている)。そのおよそ1500の中には普通の日本人では(たとえ大のプロレスファンであったとしても)到底知り得ない技も数多く入っていました。例えば、中米の小国グアテラマのマット上でしか使われてないエルカーナという特殊技。あるいは、世界広しといえどもジンバブエ人のたったひとりのレスラーしかできないグラッチィと呼ばれる超希少技。いずれも相手の腕と自分の足を複雑にからませて締め上げる間接技ですが、日本やアメリカ、ヨーロッパなどのプロレスが盛んな国々ですらそれらを知っているのは間違いなく大西だけでしょう。 大西は実に研究熱心な青年でした。彼は永田町にある国会図書館に何度も足を運び、全米プロレス連盟に手紙を書いたり、バイトでためた金をすべてつぎ込んで夏休みにニューヨークに本部があるWWF(ワールド・レスリング・フェデレーション)の事務所に押しかけてデータベースを1週間にわたって検索し続けたり、プロレス記事を扱っている世界中の新聞社、雑誌社、テレビ局に問い合わせるという、ありとあらゆる手段を使って世界中のプロレス技を調べ上げたのです。 それだけでも大したものですが、さらに大西は知り得た技すべてを「痛度」によってランク付けするという偉業を成し遂げたのです。彼は最も痛くない技を痛度1、最も痛い技を痛度100として、すべての技に点数を付けて分類しました。 分類の方法として同じクラスにいた梶山を被験体として利用しました。大西は自分自身で梶山にひとつずつ技をかけ、梶山の苦しみ具合を入念に観察してランキング表を完成させたのです。最初、大西は私を実験台にしようと試みましたが、私がかたくなに拒んだためにあきらめ、友人の頼みだったら何でも聞き入れてくれる優しい性格の持ち主である梶山にその矛先が向けられたのでした。 さすがの梶山といえども、被験体の話を聞いたとき初めは断りました。しかし、「一万円でどう?」と大西が金銭の見返りを申し出ると、すぐさまあっさりと了解したのでした。当時の高校生にとっては一万円はちょっとした大金でしたし、梶山には麻雀で負け続けてたまった借金を利子払いなく一気に返せる金額だったという個人的な理由もあり、即座の了承は理解不可能なことではありませんでした。 さて、梶山の犠牲の上で完成された痛度ランキング表で最も痛くない「痛度1」に分類されたのは「ヘッドロック」です。これは相手の頭蓋骨を腕で締め上げるもので、プロレスを1度でも見たことがある人なら誰もが知っている古典的かつ単純な技です。子供同士がふざけてやっているのをよく見かけます。確かにやられると痛いのですが、それでギブアップ(降参)するほどの苦痛ではありません(もっとも丸太のような腕をしたプロレスラーに素人がやられればもちろんひとたまりもありませんが)。 反対に、最も痛い「痛度100」に分類させていたのが、場外でのマットをどけて行うパイルドライバー(脳天杭打ち)です。この技は相手の頭を自分の太股(ふともも)ではさみ、相手を逆さまの体勢にして尻もちをつく、つまり相手を頭から地面に叩き付ける、「テレビを見ている人は絶対に真似しないでください」というテロップが必ず映し出されそうな非常に危険な技です。それをマットを外したコンクリート上で行うわけですから、やられたほうは激痛が走る、というより命を落とす危険すらある超危ない技になります。これが最高ランクに分類されていたのは誰でもうなずけることでしょう。 ところで、プロレス技の数というのは時が経つにつれて必ず増加します。誰かが新しい技を一つ開発すれば、技の総数は確実に一つ増えます。逆に減るということはありません。昔誰かがやっていたが、今ではもう誰もやらなくなった技というのもたくさんありますが、だからといってプロレスの技がなくなるわけではありません。一度存在した技は不滅です。 大西はランキング表の更新を怠りませんでした。テレビや雑誌で、あるいは実際にプロレス会場へ観戦に行ったときにレスラーが真新しい技を行ったのを発見すると、必ずその翌日(日曜の場合は月曜に)、学校に来ると梶山にその技を試し、梶山の苦しみ具合から痛度ランキング表を書き換えていました。夏休みや冬休みの長期の休み中に新しい技を発見すると、大西は梶山の家まで押しかけ、技をかけてはリストの改訂を行っていました。大西は非常に几帳面な男でした。 ランク付けが大西ひとりの独断で決められているため、首をかしげる評点も少ないながらいくつかありました。例えば「スリーパーホールド」です。これは相手の顎(あご)の部分を腕て締め上げるというオーソドックスな技ですが、大西のランキングでは「痛度97」になっています。確かに、絞めることによって頚動脈の血流が遮られて気を失うという危険な技ではありますが、プロレスや柔道でこの技をやられた人がよく言うように、頚動脈を絞められて気を失う瞬間というのは非常に気持ちがいいものです。なぜ、「痛度97」という高い評点が与えられたのでしょうか。 私は理由を知っています。大西が実験台の梶山にスリーパーホールドをやったとき、梶山の顎にはたまたま馬鹿でかいおできができていたのです。大西はそんなことつゆ知らずにスリーパーホールドをかけたのです。大きなおできは大西の腕に圧迫されてつぶれ、膿とともに血が吹き出しました。よほど痛かったのでしょう。梶山は苦痛でのた打ち回っていました。普段はどんな痛い技をかけられてもそれほど苦しみを表情に表さない梶山も、さすがにそのときは顔をくしゃくしゃにしかめて苦しんでいました。大西はその状態を見てスリーパーホールドのランク付けをしたのです。 また、こういうケースもありました。ある土曜日、私は大西の家に遊びに行きました。夜になり、テレビでは全日本プロレスの中継が始まりました。私もプロレスに多少の興味があったため、大西とともに居間のソファに腰掛けてプロレスを見ていました。その日のメインエベントはジャンボ鶴田とスタン・ハンセンの試合でした。一進一退の攻防がしばらく続き、ふと時計を見ると時刻は午後8時45分にさしかかっていました。そろそろ番組終了の時間が近づいたなと思ったら、案の定、両者とも示し合わせたかのごとく大技を繰り出すようになりました。 8時50分を過ぎたところでスタン・ハンセンは鶴田をロープに振り、戻ってきたところで得意のウエスタンラリアットを鶴田の喉元にぶちかましにかかりました。これで終わりかなと誰もが考えた瞬間、鶴田は寸前に前にかがんでよけたため、スタン・ハンセンの太い腕は鶴田の頭をちょっぴりとかすっただけでした。 私は思わずつぶやきました。「ありゃ痛くねえな」 隣に座っていた大西に目をやると、彼は真剣な表情で軽くうなずき、メモ帳を取り出して何かを書いていました。 翌々日の月曜日、学校に行くと、いつものように大西は土曜にテレビで見た新技を梶山に試してました。梶山に走ってきてもらい、大西がウエスタンラリアットをかまそうとする寸前に梶山によけてもらうという一連の動作を繰り返し行っています。もちろん何度やっても、頭を軽くかすられるだけの梶山はまったく痛がりません。 大西は実験を止め、痛度ランキング表を持ち出し、なんらかの訂正を行いました。後で大西がいないときにその表を覗き込むと、「痛度1」のボディースラムの下に「痛度0.1」という新ランクが登場し、「ウエスタンラリアットのチップ」という新しい技が加えられていました。最低痛度の技が変わった日の出来事でした。 反対に、最高痛度の技が変わった日も覚えてます。 ある日、私は大西と一緒にプロレスを見に行きました。会場は後楽園ホールです。テレビで見られるような有名なレスラーが登場する前の前座の試合中の出来事でした。観客もまだまばらな無名の日本人レスラー同士の試合で、なぜかふたりともかなりエキサイトしていました。 試合が始まってから5分くらい経った頃でしょうか、片方が相手を場外に投げ飛ばしました。続いて、コーナーによじ登り、リング下にうずくまっているレスラーに向かって体ごと飛び込むという大技、フライングボディーアタックを敢行したのです。 バコ! 衝突の衝撃からか、やられたほうもやったほうも二人とももがき苦しんだまま立ち上がれません。飛び掛かったほうは当たり所が悪かったのでしょう。先に体を起こしたのは、場外にいてフライングボディーアタックを受けたほうのレスラーでした。彼は観客席に手を伸ばし、置いてあった鉄パイプのフレームの椅子を手に取って折り畳みました。そのとき、もう一方のレスラーがふらふらしながらも立ち上がりました。 ここでは椅子を持ったレスラーが起き上がったレスラーの首のあたりをパイプで思いっきり突く、というのが定石です。しかし、誰もがそのような展開になると思った瞬間、予想外のことが起こりました。 椅子を持っていたレスラーがマットの縁に足を取られてバランスを崩し、相手レスラーの上半身ではなく股間を鉄パイプで強烈にヒットしてしまったのです。思いもしなかった一撃を食らったレスラーはのた打ち回って苦しみ、レフリーが10カウント数えてもまったく立ち上がることすらできません。 その時点で試合はリングアウト負けとなり決着がついたのですが、股間を鉄パイプで強打されたレスラーの容体が心配です。いつまでたってももがき苦しんでいます。 やがて担架に載せられ、他のレスラー達の手で控え室に運ばれました。担架の上でもレスラーは体をくねらせて苦しみ、それを見るのもまた苦痛でした。それからすぐに救急車のけたたましいサイレンの音が聞こえ始めました。観客はざわついてます。 しばらくするとサイレンの音は遠ざかり、会場では次の試合が始まっていましたが、観客はあの出来事の話をしているのでしょう。ざわめきの声が聞こえるだけで、誰もリングに注目していないという異常な状態がかなりの時間続きました。 大西は相変わらずメモ帳に何かを書き込んでいました。 翌日、学校に行き、大西の机の中にあるプロレス技痛度ランキング表を覗き込みました。すでに修正が加えられていました。 最も痛い技に分類されていた「場外でのマットをどけて行うパイルドライバー」の痛度は100から99.7に変更され、「痛度100」として新たに「椅子の鉄パイプ部分による股間への不慮の一撃」という新技が新たに加えられていました。 |
作者の コメント |
フォーラムにこういった文章を書き込む人は皆無でした。シスオペ(フォーラム運営者)と数人の人が何らかのコメントを書いたように記憶してますが、取るに足らない内容だったので覚えていません。 (作者:フヒハ) |