前置き | フォーラムに感想文がかなり書かれた時にアップしたメッセージ。 |
感想文の感想 |
皆さんがこのフォーラムに書かれた数多くの感想文を読ませていただきました。今、私が痛切に感じていることは、どうしてもっと素直な感想文を書けないのか、という疑問です。 他人の応募作品を読んで、感想を述べるということは簡単ではありません。すべてが読みごたえのある面白い作品だとは限りません。つまらない文章もあるでしょうし、読むことすら苦痛といったものもあります。ド素人が応募できるこの種の新人賞ともなればむしろそのような作品の方が圧倒的に多いものです。それをひとつひとつ丁寧に読んでいき、作者のために感想をこのフォーラムに書くという行為にははっきり言って頭が下がる思いです。 しかし悲しいかな、ここで感想文を書いている方々は同時に応募者でもあるのです。つまり、ライバルの文章を批評しているのです。このため多くの感想文では素直ではない表現がそこかしこに顔をのぞかせてしまっています。 例えば、 「おまえ、こんなんで賞を取る気か? 馬鹿も休み休みに言え!」 「P文学賞を受賞するのは、この俺様以外いない! わっはっは!」 といった表現がそれです(実際にはダイレクトにこう言ってませんが、行間からはそのような意図が滲み出ている)。 これでは読んでいてうんざりします。いくらライバルの作品の感想としてもひどすぎるといわざるを得ません。 他人の感想を書くときに一番大切なのは「もしかしたら私の応募作品がP文学賞を受賞するのでは・・・」というよこしまな考えを一切排除しておくことです。こうしない限りは素直な批評は絶対に行えません。心の片隅にちょっとでも邪悪な考えがあると必ず感想に偽りが生じます。ディスプレイに表示された他人の作品を読んでいるときには頭をパッパラパーにしておくことが必要なのです。 ここで皆さんの中には「私はもともと頭が空っぽだよ」という方もいらっしゃると思いますが、そういう人はもちろん何も気にすることなく自由に書いて構いません。 作品を読むときにもうひとつ注意しなければならないことがあります。それは「感情を素直に表に出す」ことです。これは日本人が最も苦手にしているものです。これをしておかないと感想文が完璧に素直なものとはなりません。 よく分からないという方がいらっしゃるはずですので、少し具体的に説明しておきます。 ディスプレイを前にして作品を読んでいるとき、悲しい文章に出くわした場合、皆さんはどうなさっていますか? おそらく「悲しい・・・」などとつぶやくだけで先を読み進めているはずです。それじゃあ駄目なのです。どうしてもっと素直に感情を表さないのですか? 欧米人だったら、このような場合は素直に心を痛め、キーボードがびしょ濡れになるほどの大粒の涙をこぼしています。 面白い作品を読んだときはどうしてますか? おそらく皆さんは思わずプッと吹き出しそうになるけれど、結局は笑いをこらえてしまうのではないでしょうか。 欧米人はそんなことはしません。彼らが面白い文章に出くわしたら必ずディスプレイを両手の拳でガンガン叩きながら気が狂ったように笑いまくります。つまり、自分の感情を正直に表現しているのです。 完璧に素直な感想文というのは、少しでも感情を押さえた状態では絶対に書けません。 ここでは例として悲しい文章と面白い文章だけについて取り上げましたが、読者にある種の感情を抱かせる文章であればすべて同じことが言えます。要するに文章を読んでいるときに沸き起こった感情はすべて素直に表に出すということが大切なのです。 説明が少しばかり長くなり、私の主張の要旨がつかめなくなってきている方もいらっしゃると思いますので、ポイントを以下に箇条書で簡潔に述べておきます。
さて、このメッセージを読まれた皆さんは、今後は私の助言を守って応募作品を読み進めていくことと思いますが、その際に起こり得るハプニングについても述べておかなければなりますまい。 あなたが感情丸出しにして応募作品を読んでいるときの最大のハプニングといえば、何といっても家族、とりわけ親があなたの部屋に入ってくることでしょう。 もちろんあなたは応募作を読むのに夢中になっていて親が現れたことなど気付くわけがなく、作品を読み進め、感情を現し続けます。親がひぇ〜!という悲鳴を発したときに初めてあなたは自分の部屋の中に家族がいたことに気付きます。 そのときあなたが読んでいた作品が悲しいストーリーであった場合はあなたの目からは滝のごとく涙がこぼれ落ちていますので親は心配して声をかけます。 「大丈夫? どうしたの?」 恥ずかしいから、正直に 「P文学賞の応募作があまりに悲しいので泣いちゃった」 などとは絶対に言いたくないですね。ですから、この場合は、 「パソコンのディスプレイを長時間見ていたから目が痛くなっちゃったんだ」 と弁解するのがいいでしょう。親は、なんだ、そうだったのか、といって安心してあなたの部屋から出て行きます。 読んでいた作品が面白い文章であった場合は、パソコンの前であなたは狂ったように笑いころげていますので、やはり親はこういって心配します。 「病院に連れて行こうかしら」 やはりあなたは恥ずかしいので、正直に 「P文学賞の応募作があまりに面白いので大笑いしちゃった」 などとは間違っても言いたくないですね。そこでこの場合は、すぐにディスプレイのスイッチを切ってしまうのがいいでしょう。真っ黒になったディスプレイには、あなたの顔が反射してはっきりと写っています。自分の顔を見て大笑いしてしまったと見せかけるのです。何も説明する必要はありません。状況を見た親は、なんだ、そうだったのか、と納得してすぐに部屋から出て行ってくれるでしょう。 もし読んでいた作品が官能的な文章であった場合は、パソコンの前であなたはパンツの中に手を入れ、その手を小刻みに動かして恍惚の表情を浮かべていることになります。鑑賞しているのがエッチ本だったら何ら問題はありませんが、見ているのはディスプレイに表示された文字の羅列です。それでは親はやっぱり心配します。 「誰かに相談すべきかしら?」 こっ恥ずかしいので、正直に 「P文学賞の応募作があまりにムラムラさせる内容なので、つい・・・」 などとは口が裂けても言いたくないですね。この場合でしたら、いつもディスプレイの裏にこっそりと隠してある金髪の外人が写ったエロ雑誌を引っ張り出して、一番お気に入りのページをキーボードの上に広げます。親は、なんだ、そうだったのか、とうなずいてすぐに部屋から出て行ってくれるでしょう。 それでは、もし読んでいた応募作が悲しいけれども面白い官能小説だった場合はどうでしょう。あなたはパソコンの前でパンツの中に手を突っ込みながら涙をぼろぼろとこぼして笑いころげることになります。そんなあなたを見て、親は大変に心配します、というより、 「もうこりゃ、駄目だ!」 とあきらめのため息をもらします。 この場合は弁解の余地がまったくありませんので、親が連れて行こうとしているお医者さんのところへ黙って素直について行きます。 ○ あとがき 私が長いメッセージを掲示板やフォーラムに書き込むと、どこの通信ネットであろうが必ず「結局、あなたは何を言いたいのですか?」という質問のメールを何通かいただきます。このような質問には一切お答えしておりませんのであらかじめご了承ください。 |
作者の コメント |
今ではインターネットでどんな写真もダウンロードし放題、鑑賞し放題ですが、当時はパソコン通信しかなくて普通は文字しか得られない状況でした。 普通はフォーラムで長文を書くと「シスオペ」というフォーラム管理者に警告されたり、一般の人から嫌みを言われたりしますが、これに対しては何のコメントもありませんでした。 (作者:フヒハ) |
タイトル一覧へ戻る |