前置き 1995年頃、大手パソコン通信の掲示板に書きこんだメッセージを、多少書き直した作品。


便器の蓋(ふた)


  9月の連休に長野県の白馬へ行ってきました。一泊二日の慌ただしい旅行でしたが、東京を離れ、仕事のことを一切考えずにリフレッシュしたいと考えて出かけました。
  白馬についてはあまりに有名な観光地であるのでいまさら説明はいたしません。ガイドブックやテレビ等で紹介されているとおりのすばらしい所です。
  宿は近くの湖のほとりにあるかなり古びれた旅館でした。一人旅のため、普通のホテルや旅館に泊まると非常に割高になります。また小遣いにも余裕がなく、どんなにひどい宿でもとにかく安い所を、と東京の旅行会社に特別に頼み込んで紹介された所でした。
  中に入ると、外観同様、とにかく古い。ここ30年くらいまったくリフォームしてないのではないか、と思える古さです。床は歩くたびにぎしぎしと耳障りな音を立て、入り口から見える部屋の障子はまっ黄色です。
  チェックインを済ませてすぐにトイレに入ったのですが、もちろん水洗、洋式ではなく、昔ながらのオーソドックスな汲み取り式和式便所です。その便器には蓋(ふた)がついていました。
  洋式便器に蓋があるのは当り前ですが、和式便器にも蓋があることを知らない人が多いと思います。水洗の和式便器では蓋は不要ですが、汲み取り式の場合は蓋がついていることがあります。汲み取り式の和式便器では蓋は臭いの拡散防止と人や動物(犬猫)の落下防止のためにあります。
  私が幼い頃、自宅の便所も汲み取り式の和式便器でやはり蓋がありました。
  白馬の旅館のトイレで和式便器の蓋を見た瞬間、急に子供の頃のことが鮮明によみがえってきました。

  あのころ、私は近所のガキ大将にいじめられ、毎日のように泣きながら家に帰ったものです。
  涙をぼろぼろこぼしながら家に入ると、6つ年上の姉がいつも私をこう言って慰めてくれました。
「私の友達のユリちゃんは小学校に入学したときクラスで1番背が低かったけど、卒業したときは2番目に低かったのよ」
  今考えるとまったく訳のわからない慰め言葉でしたが、当時小学校一年生だった私はその言葉に勇気づけられたものです。
  泣き止むと台所からお母さんが包丁でまな板を叩く音が聞こえてきて、いいにおいがぷーんと漂ってきます。喧嘩して大泣きすると無性に腹が減るものです。においに引き連られて無意識のうちに台所へ足が向かってました。
  台所ではお母さんが流しに向かって調理をしています。私はお母さんに気づかれないようこっそりといいにおいを発している鍋(なべ)に近づきます。
「まだ駄目よ、フーちゃん」お母さんは後ろに目があるかのごとく私の行動を知っていました。「呼ぶまでどこかで遊んでなさい」
  お母さんは振り返りもせずにこう言うのでした。
  どうしてお母さんは僕が鍋に近づいたことがわかったのだろう。
  小さいころの私はそれがいつも疑問でした。
  音を立てずに歩いているつもりでいても小さいころは忍び足などうまくできるわけがなく、気づかれてしまっていたのです。
  成功した日もあります。
  電話がかかってきたり、誰かが訪ねてきたときなどはお母さんが台所を離れるので、その隙に鍋に近づくことができました。
  いいにおいの源である鍋の蓋を持ち上げると、中にはシチュー、おでん、カレーなどが入っていました。
子供のころの私はカレーライスが大好きだったので、カレーの日には左手で鍋の蓋を持ち上げたまま、右手を中に突っ込み、熱かったのですが肉やじゃがいもをつまんだものです。
  お母さんに見つからないよう隠れてこっそりとつまみ食いしたカレーの味。それは何とも言えない格別な味でした。

  はっと我に帰ったのはまさにそのときでした。
  私は白馬の旅館のトイレにいたのです。
  私の左手は便器の蓋を持ち上げており、右手は糞尿にまみれ、口の中には今までに味わったことのない強烈な異物感がありました。


作者の
コメント
公衆便所シリーズでネタが尽きたときに書いた作品です。コメントなどはなかったと思います。
(作者:フヒハ)
>
 タイトル一覧へ戻る