前置き 1992年頃、大手パソコン通信ネットの掲示板に書き込んだメッセージを少し書き換えた作品。

銀行の掲示板

  最近はめっきり見かけなくなったような気がしますが、数年前までは多くの銀行に掲示板がありました。入口を入ってすぐに掲示板用のついたてがあったり、客の席の後ろの壁に掲示板専用のボードが掛けられたりしていて、そこにメッセージを書いた紙を自由にがびょうやピンでとめることができました。
  紙に書かれていた内容は、インターネットやパソコン通信の掲示板とはかなり異なり、非常に限られたものでした。インターネットなどの掲示板では当たり前である「セックスフレンド求む」「SM相手募集」といった過激なものはもちろん、「友達募集」「恋人募集」といった比較的ソフトな内容のメッセージも皆無でした。恐らくそういった内容を書く人がいなかったのではなく、いたけれども銀行の掲示板としてはふさわしくないものとして行員によって取り外されていたのでしょう。やはり銀行という性格上、無難なメッセージ以外は掲示板に貼られる内容として許されなかったのでしょう。
  そんな銀行の掲示板で一番多かったのは「家庭教師いたします」という大学生による書き込みです。ほとんどの銀行では90%以上がこの種のメッセージでした。銀行の掲示板とは家庭教師募集専用だと勘違いするほどでした。
  家庭教師しますのメッセージには必ず書かれている事柄がありました。それは何の科目を教えるか、料金は1時間いくらか、現在自分はどこの大学に在籍しているかです。
  教えてくれる科目は数学と英語がほとんどすべてです。中には国語、物理、化学などというのもありましたが非常にまれでした。個人的に教えられて上達するのは数学と英語しかないのでしょう。
  家庭教師代は1時間あたり3000〜4000円といったところでした。一般のバイト代に比べるとかなり高額な金額です。いつの時代も大学生に最も人気のあるアルバイトになっているのがうなずけます。
  一番笑ってしまうのが何といっても、家庭教師をやりますといっている学生達の現在通っている大学名です。東京には100以上もの大学があるのに、東京にある銀行の掲示板では東京大学、一橋大学、早稲田大学、慶応大学といった、一般に一流と見なされているほんの一握りの限られた大学名しかありません。これでは、普通の大学に通う学生の入り込む余地はまったくないようです。東大理学部の学生が数学を教えてくれるといっている同じ掲示板に、二流、三流大学の学生が数学を教えますと書き込んでも誰が相手にしてくれましょう。
  家庭教師という職はどこの大学の学生であろうと非常に魅力のある仕事です。二流、三流大学の学生の中にも、銀行の掲示板に「家庭教師やります」と書きたかった人はごまんといたはずです。しかし、一流大学の名前がずらっと並んだ掲示板を見てこりゃ駄目だと観念し、準備してきた「家庭教師やります」の紙を掲示板に貼らずに破り捨て、無念さを堪えて銀行を後にしていたのでしょう。
  しかし、そんな厳しい現実を前にしても、勇気ある者を私は見ました。三流大学(大学名はあえて伏せておきます。明らかにしても誰も知らないでしょう)にしか通っていないくせに一流大学の学生に混じってずうずうしくも「私にだって家庭教師ができるんだ!」などと書いたメッセージを掲示板に貼っていたのです。でも、よほど恥ずかしかったのでしょう。顔を真っ赤にして銀行から一歩出ると逃げるようにして走り去っていました。
  もちろん、三流大学の学生に家庭教師の依頼など来るわけがありません。仕方がないので、三流大学の学生は再び銀行へ行き、掲示板に書いた内容を書き換えるのです。一流大学に通う学生の金額と同じでは家庭教師の依頼が来るわけがないという、厳しいけれども当たり前の社会的常識にやっと気づき、料金を下げにかかります。最初は自分の通う大学の社会的ステータスの認識不足から、下げたといっても1時間2500円などという相変わらず法外な料金のままですが、もちろんその程度の値引きで家庭教師ができるわけがありません。そこで、何度も銀行へと足を運び、家庭教師代を2500円から、2000円、1500円・・・とどんどん下げていき、やっと依頼の電話がかかってきて、結局は小学校1年生に算数を時給500円で教えるという契約が成立しているのです。
  やっぱり大学は一流大学だけに行きたいものですね。
  ちなみに私は東京大学文学部外国語学科に在籍していると偽り、銀行の掲示板を見て電話をしてくれた高校生3人に時給5000円で英語を教えています。 

作者の
コメント
「学力だけがすべてではない」「一流大学の学生がいい家庭教師になれるとは限らない」「お前は詐欺師だ」などといった反論の書き込み、メールを期待していたのですが、何の反応もありませんでした。自分でもつまらないこと書いてしまった、と反省しました。
(作者:フヒハ)

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